■第21話 月の出から日の出まで〜西浦(にしうれ)の田楽(でんがく)を支える人々〜
旧暦1月18日(※1)の夜、天竜区水窪町奥領家の西浦所能(しょのう)観音堂では、月の出とともに国の重要無形民俗文化財「西浦の田楽」が始まります。松明(たいまつ)をもった能衆(※2)が境内に続く階段を上がり、階段正面奥の楽堂(がくどう)横にある大松明に火を移すと、翌日の日の出まで夜を徹して舞が奉納されます。
厳寒の中、40番を超える演目が多くの観客に見守られながら、厳かに行われていきます。五穀豊穣・無病息災・子孫長久(ちょうきゅう)と、火水の難が除かれることを願って執り行われるこの祭礼行事は、さまざまな人によって支えられています。
明り取りや能衆・観客が暖を取り寒さをしのぐことにも使われる大松明は「タイ(ダイ)」と呼ばれています。地域の人々により集められた大小取り交ぜ組まれた薪(まき)にともされた炎は、夜明けに燃え尽きるよう管理されます。この火は水窪町の消防団が長年の経験と勘を頼りに、一気に燃えてしまわないよう水をかけながら調整しています。
砂利交じりの境内で田楽を舞う能衆の足元を支える草履(草鞋(わらじ))は、この日のための特別なもので、何度も繰り返される舞の所作に耐えるため、通常のものより厚く丈夫に作り上げられています。
草履はもともと能衆の各家で作られてきましたが、今は足りない分を地域の人たちが協力して作り数をそろえています。
能衆が田楽のための潔斎(けっさい)期間に食する精進料理も、長い伝統を守っています。本来はこの時期にはない食材も冷蔵庫を使わず、秋の収穫時に藁(わら)に包んで土に埋めたり、漬物にしたりと、伝統的な方法で保管したものを調理しています。この食材の保存や調理は能衆家の女性が担い、おでんの由来とされる伝統の豆腐田楽(※3)も、焼いた豆腐に自家製の麹味噌(こうじみそ)を塗り、炭火で表面を炙ったものが提供されます。
大松明が燃え尽き、日の出を迎える頃、鎮めの儀式が執り行われ「西浦の田楽」は終了します。1300年続くと言われるこの貴重な祭礼行事を継承していくためには、さまざまな役割で支える人々もまた、欠くことのできない大切な担い手と言えます。(文:浜松市文化財課)
※1.旧暦1月18日…2023(令和5)年は2月8日(水)にあたります
※2.田楽の舞・笛・太鼓など、特定の役・芸能を世襲で受け継ぐ家の人々のこと
※3.豆腐に刺した串の様子が田楽の演目を連想させることから名前がついたと言われています
(注意)2023(令和5)年の「西浦の田楽」は祭礼神事(非公開)のみ行い、田楽の奉納は中止となりました
【市HP】「西浦田楽」で検索
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/shiminkyodo/tyuusankanevent/nishiuredengaku.html
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