■第18話 三方ヶ原の戦いをめぐる文化財
三方ヶ原の戦いという名前やそのエピソードを聞いたことがある人は多いと思いますが、そのころの歴史が分かる文化財についてはご存じでしょうか。
東区天龍川町の妙恩寺には武田家によって出された禁制(きんぜい)が残されています。
この禁制は元亀(げんき)三年(一五七二)十一月一日に妙音(恩)寺に出されたもので、浜松市の指定文化財になっています。この禁制には、武田家の軍勢が妙恩寺において、濫妨狼藉(らんぼうろうぜき)をすることを禁止し、もしそれに背いた場合厳しく処罰するという文言があります。寺社などは軍隊が通過する際の略奪を恐れて、その軍隊を率いる大名にこのような禁制を出してもらっていました。
禁制の右上部には武田家の竜の朱印が押されており、武田家が出した禁制であることがわかります。この禁制は三方ヶ原の戦いに至る武田軍の進軍ルートが分かるものであり、当時の戦いに至る緊張感を伝える文化財です。
この武田家の禁制のように三方ヶ原の戦いのころに作成された古文書はありますが、その数は多くありません。
一方、三方ヶ原の戦いにまつわる由緒書(ゆいしょがき)は多く残されています。由緒書は、自らの家や集団の歴史を主張するために作成されたもので、徳川家康とのつながりを主張しているものが多くみられます。由緒書が作成されたのは三方ヶ原の戦いより後の江戸時代です。由緒書を通して、江戸時代に生きた人々が自らの家や集団の歴史を徳川家康となぜ結びつけるのか、そしてどう結びつけるのかを知ることができます。
武田家禁制のような三方ヶ原の戦い当時の古文書と後世の由緒書から、三方ヶ原の戦いとその後の四五〇年の間の歴史を考えてみませんか。
(文:浜松市文化財課)
▼博物館特別展「三方ヶ原の戦いと家康伝承」開催中
三方ヶ原の戦いから450年を迎えることから、この戦いに焦点をあてた特別展を12月4日(日)まで開催しています。
【市HP】「浜松市博物館」で検索
<この記事についてアンケートにご協力ください。>