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【連載】はままつ文化財の散歩道

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静岡県浜松市

■第14話 伝承に見る三方ヶ原の戦い
今年は、三方ヶ原の戦いから四五〇年になります。三方ヶ原の戦いは、元亀(げんき)三年十二月二十二日、三方ヶ原において、徳川家康軍と武田信玄軍が対決した戦いです。
浜松市内には、家康や三方ヶ原の戦いにまつわる伝承が多く残されています。その一つが「酒井の太鼓」です。
三方ヶ原の戦いで敗れた家康軍が浜松城へ帰りますが、追ってきた武田軍によって城が囲まれます。しかし、浜松城の城門は開かれたまま、篝火(かがりび)が焚(た)かれ、そこへ酒井忠次(ただつぐ)が城の櫓(やぐら)の太鼓を打ち鳴らしたため、武田軍はなにかあると思い、引き上げていったというものです。
この伝承は、講談の中では、軍記物の『三方ヶ原軍記』で語られています。講談師にとって必要な、語る、話す、読む、謡(うた)うなどの調子を学び、お腹から声を出し、正しい発声を覚えることができる演目であるため、ほとんどの講談師が最初に覚えます。
また、歌舞伎の演目にも取り上げられ、錦絵にも描かれています。
八月一日から博物館で展示する組上灯籠も明治期に「酒井の太鼓」を題材に描かれた錦絵の玩具です。
組上灯籠とは、描かれた人物や家屋などを切り抜いて、のりで貼り合わせて芝居の舞台などを組み立てて遊ぶ、今でいうペーパークラフトのようなものです。扱う題材は芝居の演目が多く、人物や建物が一枚の紙に無駄なく描かれ、それらを切り抜き組み立てると、当時の舞台が立体的に再現されます。
三方ヶ原の戦いにまつわる伝承といえば、市の無形民俗文化財に指定されている遠州大念仏もその一つといえるでしょう。遠州大念仏は、三方ヶ原の戦いで戦死した徳川・武田両軍の霊を慰めるため、三河の念仏僧宗円を招いて、犀ヶ崖で供養をしたのが始まりと伝えられています。
三方ヶ原の戦いについて直接示す資料は多くありません。しかし、今回紹介したような伝承にまつわる芸能や資料からは、後世の人々が三方ヶ原の戦いについて、どのようなイメージを持っていたかうかがい知ることができます。
(文:浜松市文化財課)

◆8月1日(月)~9月4日(日)まで開催
スポット展示―三方ヶ原の戦い450年―「酒井の太鼓と組上灯籠」
【市HP】「博物館」で検索
詳細は博物館ホームページに掲載しています。広報紙P.22「知っトク情報」にも掲載しています

https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hamahaku/

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