■第10話 受け継がれる寺宝と伝統
浜松市内には各地域に守り伝えられてきた多種多様な文化財が多く残されています。文化財は市民共有の財産ですが、その保存は所有者の有形無形の努力と負担によって支えられています。
北区三ヶ日町福長の大福寺は、真言宗の寺院であり、浜名湖北岸地域を代表する古刹(こさつ)として全国的にも知られています。
創建は貞観(じょうがん)十七年(八七五)とされ、愛知県新城市との境界にある富幕山(とんまくやま)山中に設けられた幡教寺(ばんきょうじ)がその前身寺院と伝えられています。承元(じょうげん)元年(一二〇七)に現在の場所へ移転し、寺の名を大福寺に改めたとされています。
大福寺へ向かうと、最初に朱色に彩られた仁王門が姿を現します。門内には鎌倉時代の作とされる二体の金剛力士像(仁王像)が配置されており、共に静岡県指定文化財となっています。
仁王門から伽藍(がらん)の中心までは三〇〇メートルほどの距離があります。その間には現在、民家やミカン畑、新東名高速道路が存在しますが、かつては全て大福寺の境内であり、往時(おうじ)の広大さがしのばれます。
境内には、正面に本尊である薬師如来坐像(やくしにょらいざそう)(静岡県指定文化財)を安置する本堂、左手に庫裏(くり)と寺に伝わる宝物を保管する聚古館(しゅうこかん)、その奥には庭園があります。
聚古館には普賢十羅刹女像(ふげんじゅうらせつにょぞう)、瑠璃山年録残編(るりさんねんろくざんぺん)、金銅装笈(こんどうそうおい)の三点の国指定重要文化財が保管されています。いずれも明治時代に指定(旧国宝)されたもので、このうち瑠璃山年録残編は、南北朝時代における遠江の南朝方と北朝方の攻防戦の状況が記された貴重な史料です。
庭園は室町時代の作庭とされる池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしき)で、静岡県指定名勝となっているほか、庫裏が国登録有形文化財となっているなど寺内には多数の文化財が存在します。
また、寺では徳川家康公にも献上された大福寺納豆づくりが行われています。室町時代から代々受け継がれてきた秘伝の製法を今も守り続けています。
これら大福寺に所在する文化財を保存していくためには、所有者であるお寺の負担が避けては通れません。指定文化財の修理が必要となれば、補助を受けることができますが、費用の一部は所有者が負担しなければなりませんし、文化財の現状を変えることに際して事前に許可を得る必要があります。
文化財を守り伝えていくことの裏には、こうした所有者の苦労が存在するのです。
(文:浜松市文化財課)
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