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【連載】はままつ文化財の散歩道

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静岡県浜松市

■第19話 銅鐸(どうたく)のまち、浜松
浜松市が「銅鐸のまち」であることを、皆さんはご存じでしょうか?実は、浜松市は全国的に見ても銅鐸の出土が多い地域で、完全な形のものだけでも十九点もの銅鐸が発見されています。いずれも弥生時代後期(今からおよそ二千年前〜千九百年前)のものです。
銅鐸は弥生時代を代表する青銅器です。上部に付いたつり手でつり下げ、音を鳴らすベルで、中国から朝鮮半島へと伝わった銅鈴(どうれい)が元になったと考えられています。時代が下るにつれ次第に巨大化し、見せることで神々しさを示すものへと変わりました。
浜松市で出土した銅鐸と出会える場所が、姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館(北区細江町気賀)です。この資料館の展示の魅力は、複製品も含めて八つもの銅鐸を見比べられることにあります。銅鐸のつり手に注目すると、渦巻き模様を二つくっつけたような形の飾り耳が付いているものと、付いていないものがあります。大まかに言うと、飾り耳があるものは近畿式(きんきしき)、飾り耳のないものは三遠式(さんえんしき)と呼ばれる種類です。
浜松市は、ただ数多くの銅鐸が見つかった場所であるというだけではありません。浜松市は日本で銅鐸が分布する地域の中ではおおむね東の端にあたり、しかも近畿式と三遠式の両方が見つかっています。この地域に住んでいた弥生時代の人々は、さまざまな地域と独自のつながりを持っていて、異なる種類の銅鐸を手に入れることができたようなのです。
銅鐸は弥生時代のうちに、人里離れた丘陵の斜面に埋められることが多かったようです。理由は明らかでなく、銅鐸をめぐる謎の一つです。その様子がよくわかる場所が、滝峯(たきみね)の谷にある銅鐸公園(北区細江町中川)です。滝峯の谷では六点の銅鐸が見つかっていますが、その中でも滝峯才四郎谷(たきみねさいしろうや)銅鐸は、学術的に発掘調査された貴重な例です。現地は出土した時の様子がレプリカで再現されています。弥生時代の人々はどんなことを考えながらこの谷にやって来て、貴重な銅鐸を土に横たえ、埋めたのでしょうか。思いをはせてみるのも良いかもしれません。
(文:浜松市文化財課)
【市HP】「姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」で検索

https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hamahaku/09annex/hakubut03.html

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