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ちょっと注目!!

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静岡県浜松市

◆光明山(こうみょうさん)古墳(天竜区山東)が国の史跡に指定されます
光明山古墳は、古墳時代に造られた市内最大の前方後円墳。里と山をつなぐ場所に造られたことや、古墳の造り方、大きさ、保存状態が良好であることなどが評価され、国の史跡(※)として指定されることになりました。
※国の史跡…国の歴史を知る上で重要な遺跡

■光明山古墳のここに注目!!
光明山古墳には、古墳時代の歴史を知ることができる手掛かりがたくさんあります。国の史跡に指定されるに至った、光明山古墳の見どころをご紹介します。

○【葺石】【埴輪】きれいに残る葺石(ふきいし)(※)と独自性のある埴輪(はにわ)
古墳の斜面には、基底部から最上部まで高さ6.8mにわたって葺石がほぼ当時の状態のまま残っており、古墳時代の土木技術の一端をうかがえます。また、出土した埴輪は、地域独自の技術で作られ、底部に段があるなど特徴的な形状をしています。
※葺石…古墳の表面に敷き詰めた石のこと。

○【形】近畿地方の超大型古墳と似た形
光明山古墳は全長83mの前方後円墳で、二段構造になっています。その形は、政治体制(ヤマト政権)の中心であった近畿地方の古墳と共通しています。また、近畿地方にある超大型の前方後円墳も、複数段構造になっています。

○【立地】陸上交通の要衝(ようしょう)に立地
光明山古墳のすぐ近くには太平洋に面した平野部と内陸を結ぶ秋葉街道が通っています。光明山古墳は、遠江と信濃や奥三河をつなぐ内陸交通上の要衝の地に造られました。

■光明山古墳からわかること
古墳は当時の権力者の象徴であり、光明山古墳は、5世紀中ごろに建造された前方後円墳の中でも、東海地方屈指の規模を誇ります。
当時、ヤマト政権は水運から陸運へと交通政策の転換を図っていました。政権と結ばれたこの地域の権力者は、里と山をつなぐ天竜の地に注目し、大型の前方後円墳を築いたと考えられます。

◇講座・見学会「光明山古墳とその時代」
内容:光明山古墳の紹介と現地解説
日時:4月25日(土)午前10時~午後0時30分
会場:天竜区役所21・22会議室ほか

問合せ:
・文化財課【電話】457-2466
・天竜区まちづくり推進課【電話】922-0086
※当日、直接会場へ(先着130人)
※荒天時中止

問合せ:文化財課
【電話】457-2466

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